ジャニーズヲタクの終焉
一ヶ月前ほどに、10年選手をぶっちぎったジャニヲタの歴史に終止符を打つことに。
そろもそもわたしのヲタクの歴史とはどんなものだったのか思い出がてらに振り返る。
彼らとの出会いは私が11歳ほどの頃、小学館刊行の今は無き小学3年生の表紙になっていたのは、今や国民的スーパーアイドルの嵐であった。
もちろん当時は無名、だったのだが、ちょうどごくせんファーストシーズンがドラマで流れていたため、松本潤の特集も組まれてるなど小学館のくせにアイドルページをふんだんに使ってくれていた。
真面目で記事を隅から隅まで読むエリート小学生打ってた私は、その記事と写真、そして姉の影響で見てたごくせんとのリンクが見事に繋がり、あっけなく松本潤の虜になる。
ちなみに当時の好きな人はセーラームーンスターズのスーパーアイドルのセンター、星野光なのだが、これは又の機会に詳しく語りたい。
その後姉に連れられ、嵐のコンサートに行くのだが今じゃ考えられないのが、コンサート後半、私の姉は隣の空席に荷物を置いた。
なんと、当時の嵐はぱっと見大勢の集客なのだが、ぽつ、ぽつと空席があったわけだ。
もちろん遅刻とかではなく、最後まで空席だった。
そこだけではなく、ちらほら見えていた空席は荷物置きと化していた。
余談だが、通学路で嵐の話をした時に、『なにそれ、だれ?それより天てれのが好き』と語っていた友達は今は立派な嵐ヲタとなりました。
そして時は流れ、姉が友達からもらったというVHSのダビング(笑)を見た際に、K.K.kityというアイドルに出会った。それがこれからの自担になる小山慶一郎との出会いである。
まあそれより前に山下智久が好きだったので当時は山P一生愛してる💗の小学生だった。
そして更に時は流れ、NEWSとしてやましたと小山慶一郎がデビューを果たし、校内放送でがんがんNEWSを流す放送委員のワタシ。
その直後に永遠の新規として名高い伝説のごくせんセカンドシーズンが始まったのだ。ここでついに同類が増える増える。
そして喧嘩になる。
虚言癖がある私は母親が編集長だの、カメラマンだの、マネージャー仲がいいなどアリもしないクソみたいな嘘をつきまくる。これが小学生の恐ろしさだ。作文では夢小説を書いた。
ココらへんで確か、内、草野の騒動があり、呆然とバレーでいないメンバーに泣きながらクラスメイトと長電話していた。もちろんそのことも不仲になり喧嘩してた。
そして不仲になっていく友達が増える中、いまのすずめの二人と決定的に仲良くなったのが中学入学の頃。
NEWSは6人での再出発をしていた。
中学2年生で小山慶一郎に対して完全に担降りをした。ネバエンのdreamsをほぼ目の前でみてしまい、この人が私の探し求めてた人だと謎の錯覚を起こしていた。
挙句、本気愛を貫いていたヲタクの私はこの時すでに美容意識に対するピークを迎えており、ほんきあいぱわーで62kgあった体重を45kgまで落とすスーパーダイエットをしていた。背が低いため痩せてるようには見えないものの、デブではなくなっていた。
そして中3でクラスは違えどすずめは使われていない階段の踊り場で嵐ヲタのワンマンライブを開催し、参戦するという楽しいライフを送った。
しかし、高校で私だけ一人バカ高校に進学したので友達がいなくなる。そのときは嵐ヲタに誘われたキスマイにいき、北山のファンサで闇堕ちしていた。
しかもなぜか濵田崇裕にも闇堕ちしてエイトのコンサートにいくも濱田不在だった。当時浜中好きだったすずめのメンバーとなぜ下が来て上が来ない???と話を半笑いでしていたとおもう。やけくそでケンタッキーを食べていた。
そしてこの時点で体重は見事リバウンドした。
それから大学に進学のさい、NEWSは錦戸山下の脱退から振りきり、二回の復活コンサートをしていた。とてつもない号泣、そして出会いに感動した。この時にNEWSは何がなんでも応援していこうと決めた。
同時に滝沢ソロコンで渡辺翔太に降りるも、そこらへんで関西担の友達に出会い、関ジュの舞台挨拶、そして全国ツアーに同行させて頂く機会が増えていた。
その全国ツアーで、わたしの人生を狂わせたのが今や人気アイドルとなったジャニーズWESTの小瀧望である。
全国ツアー後、すでに申し込みが終わっていたANOTHERへ殴りこみ、その後関ジュの小滝の現場には無理やり全てに足を運ぶことになる。
小瀧望のことが世界一可愛くて、かっこよくて、ほかの担当にはファンサを求めて幸せになりたかった自分が、初めて幸せになってほしいという目線で見ていたのが彼である。
しかし2013クリパで完全にデビューのフラグが立っていた。ソロコンがおこなわれ、ソロコンとスペシャル公演の様子がおやおや状態だったのだ。
案の定1/1にはジャニーズWEST4(笑)としてデビューを発表された。
生理がかぶり挙げ句の果てカウコン見てないで友達から聞いた事実に泣きながらタバコを一晩で二箱開け酒を煽る病みっぷり(笑)
その後のなにわ侍で七人デビューを果たし、ツイン厨だった私は行く予定だった公演にプラスして、即刻チケットを買い取り、ツインさいごう(泣)(泣)(泣)と日生劇場で号泣して再び愛を届けてた(笑)
しかし、実習と卒論に追われ現場になかなかいけなくなり、台風ndreamerあたりから遠征はなくなっていった。
その実習中、朝起きたら吐気と頭痛が止まらず起き上がれない事件があり、バスに乗ると三回降りるはめにるほどの発作に駆られることになった。
泣きながら頭を下げ実習を中止したところ、難しい病名がついたがざっくり簡単にうと不安症とやらにかかったらしい。パニック障害一個手前。
そんな時にNEWSのWhite公演があり、親にも迷惑をかけたし、そんなの行ける気分でもないからいかない、友だちに行ってチケット売ってもらう、と言っていた。
親からしたら見ていられなかったらしく、ある日服を買ってくれた。私が好きなかたちのワンピースを買って、これ着て、行っておいでって言われて号泣した。私がジャニーズでしか動かないことを知ってた親が背中を押してくれた。
そしてWhite札幌、運命の3月29日、ゆうかが与えてくれた神の席で小山慶一郎と初めてのオンリー(笑)を頂いて、ああ、もうダメだとその場で泣き崩れる。(笑)そして小山慶一郎担当に返り咲く。
その後の回復は早い早い、すぐに大阪と東京の手配をしてホワイトツアーへ参戦し気持ちも上々に戻った(笑)
そして時が立ち、就職してからは札幌公演しか行くことがなくなった。二年め、NEVERLANDへ行こうとチケットと路線を確保しかけたその時、わたしは電撃が走る運命的な出会いにより、ヲタクとしてのジャンルを引っ越すことに決めた。
ここまでがわたしのジャニーズ遍歴。
なかなか浅いけど私にとっては青春のすべてでした。
今はNEWSもまた考えさせられるところもあり、そんな時に今の沼に出会ったのは運命だったのかなあと思います。
ちょうどこのタイミングでフルスイングが流れてくるので感慨に浸りますが、わたしはNEWSが今でも好きだし、とても嫌悪するところも含めて仕方がないとことして受け入れようとは思ってます。
そして次の沼はまたに彼らにはない魅力があります。これからもNEWSの現場は行くけども、いまは今の沼を大切に生きていきます。
我が人生はオタクしないと生きていけないようだね(笑)
小山慶一郎さんと、小瀧望さんに頂いた様々な感動と勇気は今の沼ではもう得られないかけがえのないものだから、本当に感謝が止まらない。
好きになってよかったし、これからも大好きです!
これからまたヲタクに戻ることだってありえるけれど、そのときは笑い飛ばしましょう。
それでは。